マミフラワーデザインスクール 校長
川崎 景介 keisuke kawasaki
マミフラワーデザインの歴史
大森山王から始まった...
マミフラワーデザインスクール、マミ会館のある大森山王は、田園風景の残る緑の多い地域...。50年前、ここに本拠地をかまえ、1962年に開設された日本初のフラワーデザインスクールのあるこの大森について、駐車場から会館へと向かう道を歩きながら、川崎景介校長(以下校長)にお伺いしました。
「横浜開港にあたり、ドイツ人が多く横浜の地に来たとき、海側よりも、国に似た景色...田園風景を探し、内陸へと居住地を求め、大森に辿り着いたそうです」。
大正14年(1925年)から平成3年(1991年)までドイツ学園(東京横浜独逸学園)が当時山王にあり、ドイツ人が多く居住していた歴史があり、商店会との関わりは深く、現在は、生徒数の増大により神奈川県横浜市都筑区に移転したものの、今なお「ジャーマン通り」という道路もあり、その面影を残している...。
歩きながら話しながらも、頭の中の引き出しから、時代背景、歴史、そして現在に至る流れ、すみずみまで適切にすらすらと止まらずに言葉が溢れ出てくる校長を見て、大学の専攻が「歴史学、政治学」と聞いて...思わず納得させられました。
マミフラワーデザインスクール校長を務めながらフラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努め、日本民族藝術学会員でありながら、花文化研究者...。校長のプロフィールを聞くと、何からお伺いして良いのか?と考えさせられますが、花との関わり合いを中心にマミフラワーデザインスクールの歴史についてまずお聞きしたいと思います。
創始者の想い。マミ川崎...アメリカへ。
マミフラワーデザインスクール創始者、マミ川崎 総長は、父が医者であった背景もあり、宣教師をつてに、日本人として戦後2番目の早さで、英語が話せないながらも、船でアメリカに渡ることになります。語学を学びながらも、上手く会話が出来ない彼女にとって、生活資金を稼ぐアルバイト先もなかなか見つけられずにいました。
あるとき、彼女の友人は「花屋さんだったら、あまり語学が堪能ではなくても出来るはず!」と話し、その言葉で、1950年代初めてアメリカの歴史あるフローリスト クレストウット花店(現在もオーナーは変わっているが存在とのこと)に勤めることとなったそうです。
「花屋さんは幸せを配る仕事。アメリカのいきいきとした花のある生活に大きな刺激を与えられた...」と語るマミ川崎さん、しかし就職は、卓越した英語を使って、ジャーナリストを希望し、産經新聞に入ることになりました。
新聞社に入ったものの、女性の仕事には大きな壁のある時代。与えられるのは雑用ばかり。やりきれない気持ちでいたそうです。しかし、ここで運命的な出会いがありました。東京タワーの建築に大きく関わった歴史上の人物、産經新聞社長 前田久吉です。彼の秘書として配属されたマミ川崎さんは、ジャーナリズムに関われないことを強く心願し、移動を直訴。
熱いおもいに気に入られ「明日から婦人部へ行きなさい」という前田氏の言葉をうけて、いきいきとした女性達を取材することとなりました。これからの日本人女性のあり方や、「個性を発揮出来ることが大事で、自立している姿が素晴らしい」ということに直に触れ気づき、自分がそういう女性を教育したいと考えだしたそうです。
頭によぎったのは花屋でアルバイト時代の「アメリカ人女性達」...。重なった姿に、マミ川崎さんは、1962年フラワーデザインスクールを大森山王の地に開設されました。
開設後、カリキュラムの獲得を含め、アメリカに一度戻り、「ジオメトリックデザイン (三角形等の基本的形式)」バディ・ベンツを吸収。1970年〜80年代にかけては日本の花文化エッセンスを吸収し、多くの華道団体と意見交換(小原流 小原豊雲さんとはとくに)。そして現在のマミフラワーデザインスクールに至っているとのことでした。
「生活の中でごく自然な花の使い方を日本に普及させたい」との想いからはじまったマミデザインスクール。
今回、西洋的なフラワーデザインが華道的な要素を含みつつ、独自の進化をしてきたという理由が戦後の日本と女性達の生き方という部分が背景にあり、約半世紀に渡って日本のフラワーデザインのパイオニアとして、今年(2011年)創立50周年を迎える記念すべき年に、お話を伺えてとても光栄でした。
考花学...花が時をつなぐ
約10年前にアメリカで学んだ歴史学、教育といったものを背景に、花との関わり合いの中で、出来ることを模索したという校長。
「フラワーデザインというものが、歴史が浅いという部分をもちながら、なぜか書き留められていないという事実に気づいたのです。華道のように、しっかりと残っているものが西洋には多く存在されておらず、花装飾として名も無い方が、断片的に残したものを集め、つなぎ合わせるようなものなのです。そういうものは傾向は伝えるのですが、真相は伝えられない」。
調べれば調べるほど断片的な事実に直面して、とても難しいことに気づかされ、そして自ら様々な国に行き、直接調べ歩かなければ、つなぎあわせることが出来ない...という事を理解されたそうです。
その中、「小原流、工藤先生に譲って頂いた研究文献に助けられながら、その想いも伝承し、作り上げた...」というのが『花が時をつなぐ フローラルアートの文化誌 (講談社発行)』 でした。
マミフラワーデザインスクール校長として、教鞭をふるう「考花学クラス」には、そんなフラワーデザイン文化の世界各国の歴史が語られ、日本に続くフラワーデザインの歴史を説いておられます。
「花文化研究というと難しそうに感じますが、実はなぜ人は花が好きなのかな?とか、なんで人は花に意味を持たせるのかな?とかとりとめないことなのです。しかし花の世界は無限に広がっていて、花や自然にまつわる文化のことを調べていくと、全てのことに結びついているのでビックリします。そういう人と花、暮らしからはじまって、フラワーデザインをはじめとした芸術に変化する...そういう魅力が考花学には詰まっているのです」と語られました。
50年の歴史をもつマミフラワーデザインスクール。
創始者のマミ川崎さんが作り上げた歴史を、フラワーアーティストである川崎景太さんが伝承し、そして校長である川崎景介さんが、書き留めていく...。
日本のフラワーデザインの歴史はとても浅いながら、西洋文化である建築などが日本に入ってくる中で、花は大きな流れの中で海外で学ばれ、持ち込まれ伝承され、進化し今に至っています。
先人があって、今がある...。
あらためて、「植物と人」の中で多くの方に取材していきたいと強く思いました。
マミフラワーデザインスクール公式HP
川崎景介―公式HP 音楽が出ます。
考花学クラスについて
花が時をつなぐ 講談社
川崎景介(かわさき けいすけ、Keisuke Kawasaki)
花文化研究者 マミフラワーデザインスクール校長
東京都に生まれる。
1989年 米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。
2008年 倉敷芸術大学修士課程修了
2006年 マミフラワーデザインスクール校長に就任
花にまつわる世界各地の文化を、独自の視点で調査研究する「考花学」を提唱
大学や文化団体などでの活発な講演活動を通じて、花文化の啓蒙に尽力をつくす
環境芸術学園日本フラワーデザイン専門学校講師
丁徳寺大学芸術学部客員教授
日本民族藝術学会員
著書 「花が時をつなぐーフローラルアートの文化誌ー」講談社